農業はここ数年で大きく様変りしている。農家を取り巻く環境の変化が加速しているためもある。でも、農業に携わるそれぞれの農家が変わろうとしなければ実現するはずもない。ズバリ、キーワードはコンピュータ。農業の分野でも上手に使って販路拡大を図ったり、消費者とのコミュニケーションを拡げたりと使い道はさまざまだ。ここでは、インターネットをフルに使って新たな展開をしている、または本業の傍らでSOHOとしての自分を活かしている、そんな農業従事者を紹介しよう。
プラス思考が変えたコーヒー香る街の酪農農家
磯沼ミルクファーム
磯沼牧場。ここには、のんびりした田舎の放牧風景はない。JR中央線の八王子駅からバスで25分。バス停の裏の垣根沿いに、ジャージー牛をかたどった木の看板。まさに都会の酪農農家である。奥に進むと、大きなサイロと2つの牛舎と工場が建っている。不思議なことに牧場特有の匂いがない。
この地に牧場を開いてから、磯沼正徳さんは2代目の牧場主である。現在、磯沼牧場のヨーグルトは、東京を中心に多くのファンを持つ。コクがあり、ミルクの味がする。『かあさん牛のおくりもの』のラベルもほほえましい。
時代のニーズに合った牧場経営を目指す磯沼さんの足跡を辿ってみたい。
● 家で牛を飼おう!
昭和53年、それまで順調だった酪農は、供給過剰による生産調整の苦しい時代に入る。牛乳・牛肉の値段は容赦なく下げられた。都会での牧場経営は、税金が高く、人家に隣接しているため、牛糞処理の問題に悩まされる。この頃、都会の牧場はどんどん減っている。
当時、26歳だった磯沼さんは、八王子市主催の海外青年派遣事業に参加。オーストラリアのサラリーマン家庭にホームスティした。牧畜文化の発達した国。
出勤前のご主人が搾乳し、その牛乳で奥さんがヨーグルトを作っていた。
家畜が生活になじんでいる様子に感動した磯沼さんは、カタコト英語で一人、オーストラリア酪農協会を訪ねた。『家で牛を飼おう!』のパンフレットが目にとまり、感銘を受ける。
「日本でも、親しみが感じられる存在として家畜をアピールできないものか。」と考え始める。アルビントフラーの『第三の波』の影響も受け、「やがて個別注文・個別発送が注目され地方にも進出できるような時代がくる」ことを確信。
● タウン誌に記事が掲載
帰国した磯沼さんは、昭和58年『ジャージーを育てる会』を発足。ジャージー牛は乳牛に最適の品種である。一頭の牛を持ち合いミルクの自家消費を始めることに決めた。会報を準備し牛の一生に付き合ってくれるオーナーを募る。
呼びかけに予想以上の人たちが集まり、タウン誌には記事が掲載された。
「経営は苦しくて、牛糞の問題もあっ
たけれど、出資や宣伝などで応援してくれる人がたくさん出てきてくれて、それはもう、うれしかった。」
大量生産に傾く時代、あえていいものを作ることに理解を示してくれる仲間に励まされた磯沼さん。これをきっかけに本格的にジャージー牛と取り組む。
平成6年、牧場内に工場を建て、ジャージー牛の新鮮なミルクをふんだんに使ったヨーグルトの生産を始めた。
「牧場を経営している内は、牛が持つ能力を最大限に引き出すのも私の仕事」
ヨーグルトの作り方からネーミングまで、心をこめて生まれたヨーグルトが、『かあさん牛のおくりもの』だ。
牛糞処理の問題も見方を変えてみた。都会近郊には、工場、特に食品工場が多く、磯沼さんは
『コーヒーかす』に目をつけた。牛糞にコーヒーかすを混ぜてみたのだ。牧場一帯にコーヒーの香りがして、全く匂わなくなった。しかも驚くことに、堆肥の質がよくなり畑に効果が現れた。さっそく『牛之助』のネーミングで堆肥も売り出す。自然の材料を使うことで環境に配慮できた上、長い間の問題も解決。今では、他の牧場でもコーヒーかすを使い始めている。
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インターネットに活路が見える
「牛は捨てるところがないんですよ。牛乳、肉、骨、血、皮、内臓、糞。つまり、命がけで人間に奉仕してるんです。命を育てる楽しみ、牛との繋がりや歴史などもわかってほしいんです。」
そんな思いで、平成9年5月、『磯沼牧場』ホームページを開設。反響は大きく、見た人たちが、電話やFAXで、ヨーグルトを注文してきたのだ。
やがて雑誌やテレビに取り上げられるようになる。『街の中の酪農家と市民の交流』をテーマに、市街地牧場ファンクラブも作った。
「考え方を変えることによって、今まで見えなかったものが、見えてくることがあるんですね。」と静かに語る。
一冊のパンフレットから始まった『発想の転換』から20年後の今、磯沼さんは、日本全国からジャージー牛のオーナーを募りたい、と考えている。ホームページで、牛の成長をリアルタイムで全国に発信できるからだ。磯沼さんの『家(パソコン)で牛を飼おう!』が、もうすぐ実現する。