SOHOは知恵と技術を生かす平成のマイスターである。組織という大きなバックボーンに守られているわけではない。まさしく腕一本、技ひとつで生きる独立独歩の職人ともいえる。SOHOという道を選んだからには得意技を磨き、仕事にこだわりをもち続けながら自らをグレードアップしていかなければならない。平成のSOHOマイスターたちは日々努力を続けながら、新しい仕事の形と技術を切り開こうとしている。
取材・文=木村由美子
感覚的に伝わるものを作っていきたい
藤本孝明さん(グラフィックデザイナー)
●自宅を事務所にしてゼロからの出発
徳島市にあるレンガ建てのマンションが藤本さんのデザイン事務所兼自宅である。設立からすでに7年目、平均7〜10本の仕事を同時進行させる藤本さんの毎日は多忙を極める。
徳島県立高校を卒業後、大阪芸大のデザイン科へ進み、デザイナーを志す。大学卒業後、東京のデザイン事務所へ就職。直属の上司が独立、デザイン事務所を設立する。藤本さんも後を追って退社、その事務所で仕事をするようになり、社長に本の装丁のデザインの基礎を徹底的に叩き込まれた。
「装丁は、文字と文字の間、行間の微妙なバランスで緊張感が変わってくる。ひとつひとつ厳しく指摘されましたが、好きなことをしているのでそれほど苦ではありませんでした」
6年間、社長と二人三脚で仕事をしてきたが、家の事情で徳島へ戻ることになった。これが転機となり独立、デザイン事務所「如月社」を設立した。
生まれ育った土地とはいえ、デザインの依頼があるのかどうかすらわからない状態での独立だった。藤本さんはまずDMを作り、デザイン事務所、広告代理店、印刷業者へ送付し、自分を売り込んだ。その結果
、DMの効果でいくつか仕事の依頼がきた。
●徳島から世界へ作品を発信
半年が過ぎた頃、徳島でタウン誌を出版している会社から連絡が入った。デザインが認められ、以降そのタウン誌の表紙を担当するようになり、これを契機に仕事は増えていった。仕事をしていく上で藤本さんがこだわった点は「自分のデザインで表現していくこと」である。依頼者の要望に合わせたデザインと自分の感性を生かしたデザインを二つ用意してプレゼンテーションする工夫もした。すると藤本さんが自己表現した作品のほうが採用されるようになり、全面
的に任される仕事が増えていった。
現在はタウン誌の表紙をはじめ、会社案内、お菓子のパッケージ等のデザインを手がけ、ボランティアで環境問題をテーマとした漫画の装丁と文字の貼り込みも行っている。
「デザインの仕事を始めてから今まで、締め切りを延ばしたことは一度もない。これだけが自慢です」
その積み重ねが大きな信頼、そして仕事へとつながっていることは確かだ。MACを使うことで修正作業は断然スムーズになり、今までならアイデア段階で無理だったことも可能になったという。藤本さんは「コンピューターは限りない可能性を持つ道具」として捉えている。
「資本主義の世の中は、真面目に努力している者を見捨てない」――独立したときに前の会社の社長から贈られた言葉である。
「こういう仕事がしたいと思い続ければ、いつか思い通りの仕事が出来るようになります」
藤本さんの目は、今、世界へ向いている。「ニューヨークADC(アートディレクターズ・クラブ)」展や「第16回ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ」に入選、日本国内から海外へのステップを踏み出したところだ。