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   [博多]

地方発DOPPO人

地域社会のDOPPO人の元気がいい。何も競争相手がひしめく大都市で起業することだけがDOPPO人への道ではない。地域にどっかと根をおろし、着実に稼いでいるビジネスはたくさんある。これからの独立起業は地方発。地の利を生かし、古くからの人的ネットワークを生かすことで東京・大阪などの大都市よりもぐっと独立起業しやすくなる。  

中小企業への人材派遣と企画部門を代行するアイデア集団
 ―ソフトウエア・クリエーター
藤田秀幸さん

■自宅アパートを事務所にしてスタート

 大きな会社には、企画担当の人間がいて、自社製品の売り込みを企画立案していく。これに比べて、中小企業は、そんな人間を抱えておくだけの余裕がない。

「新聞の経済関係の記事を読んでいて、ふと思いついたのです。外資系のアイスクリーム会社が、新しいクリームを若い人たちに食べてもらおうと、モニターを大勢募集しているのを見て、これが中小企業だったらどうするだろう?って考えたんですね」

柳川市の私立高校を卒業して、すぐにデパートに勤務したあと、3年間で辞めて、福岡市にあるコンパニオン派遣会社に勤めて間もなくだった。

世間は、バブルの真っ最中。まず、福岡市近辺の大学がいくつあって、どれだけの学生さんがいるのかを調べ、それから、手持ちの3万円で名刺と、電話を用意し、銀行口座を開いてローンで中古のクルマを買って、自宅アパートの一室を事務所にしてスタートした。いまから、8年前のことである。

世の中が好況だったお陰で、まず、ヤングマーケティングが調子よかった。

「大きな会場で開かれる商品展示会や、スポーツイベントなど、学生アルバイトはいくらでも欲しい、というリクエストがあって、これが好調の原因でした。本当は、若者達のいろいろな意見を取り込み、新しい商品の開発や、セールスプローモションなどで力を発揮することだったんですが、なにしろバブル全盛期のころだったし、イベントのオン・パレードだった。企画を売り込みに行っても、それより学生さんたちを集めてほしい…って」

 

■学生の情報ネットワークをフル活用

 若い労働力は、売り手市場だった。逆に、学生達は、学資は家から出してもらっていても遊び代に困っている。その需要と供給のバランスをうまく合致させてこのビジネスは順調に伸びた。

ただ、大学生は、就職が近づいたり、卒業を前にすると、腰が落ち着かなくなる。仕事も複雑な、熟練が要求されるものには派遣できない。

「やっと仕事に慣れ、覚えたころに、卒業してしまう。だから、結局は単純な仕事になってしまう」

藤田さんは、高校時代、野球部に在籍、甲子園出場も経験している。それだけに、体には自信がある。いろいろなところに出入りして、求人の件数を増やす一方、学生さんと一緒に話し合う時間を増やした。

「私も若いけど、学生さんたちがどんなことを考えているのか、そこまでは理解できない」

そこで福岡市内のマンションを借りると、そこを事務所兼ディスカッションの場として学生たちに提供した。これが企画、立案を代行するアイデア集団を実現させた。

「新製品を開発したいけど、その前に、若い人たちの声を聞きたい、といった企業のリクエストがある。そこで、学生さんたちに、そのことをアンケートさせ、どうすればその商品が売れるかまでを答えさせる。バブルのころは余り売れなかったアイデア部門が、いまは好調です。この商品はどうすれば売れるだろうか、って中小企業の社長さんたちが飛び込んでこられます」

この8年の間に、独身だった藤田さんは結婚して、株式会社「トレンド」の社長として会社を順調に育て上げ、昨年は人材派遣の部門で、ざっと1億円、企画アイディア部門で5千万円を売り上げている。

 

■親方の味を盗むのに悪戦苦闘した修業時代

 井本さんは、従業員が300人を越す、福岡市でも中堅クラスの会社でサラリーマン生活を送っていた。

「そのころは、確かに、生活は安定していました。でも、楽しくなかったですね。あのタイムカードを押す単調な生活がイヤだった」

井本さんは、夜になると、よく好きなラーメンを食べに屋台へ出かけた。それも、ずらりと屋台が並ぶ、福岡市の長浜へ足を向けた。

「べつに動機があったのではなく、ラーメンをすすっているうち、何となく屋台ラーメンをやってみたくなった。それで数多い屋台の中でも、好きな味の屋台のおやじさんに頼んでみたら、意外と簡単に雇ってくれた。こちらとしては、一日も早く味の秘密を盗み取って独立したい、と考えていたのだけど、そうは問屋が卸してはくれませんでした」

屋台の仕事は、想像以上に厳しいものだった。

毎日、午後4時に屋台を所定の場所にもって来て、立ち上げ、準備を始めてから朝方の4時まで、働きっぱなし。そのお陰で、屋台のノウハウは間もなく身につけたが、味が盗めない。

これには理由があった。

「最後のタレは、おやじさんである社長が自宅で作ってもってくるから、(肝心なところを)見ることができないのです。そのために、半年のつもりだった修業の時間が一年を越えました」

井本さんは、このままではタレづくりは盗めないとわかり、作戦を変更した。

「屋台には、先輩で、一度独立しておきながら、失敗してまた屋台に舞い戻って来ていた人がいたので、その人から少しずつ教えてもらい、ちょうど一年目でその屋台を辞め、郷里の宗像で屋台を始めました」

個人レベルで生きるビジネス

 90年代初めは環境ビジネスが企業規模で始まった時代だった。オフィスの用紙を再生紙にして、再生紙使用をアピールした企業、銀行、官公庁。スーパーのダイエーでは分解性ポリ袋を使用し話題になった。

 そして今、自然やエコロジーという言葉が個人レベルで根づいてきている。地球にやさしい、安全であるという視点から個人がモノを見、考え、行動するようになった。

 「安全食品の店」「天然酵母使用のパン」「酸化防止剤を使わないワイン」「添加物の入らないカマボコ」「天然色素の化粧品」「雨を通 す敷石」などはおなじみになった。

 少しお金はかかるけど、安全な品を選ぼうとする人も多くなっている。

 こうした商品の中でも食品などは大規模な製造、販売を指向している企業とは対局にあり、どうしても地域的な規模で手作り、販売する必要が出てくる。それは必ずしも利益優先の商売形態でなく、草の根的で、地道な仕事になってくる。

 単にニーズだけを捕えて、起業・独立するというのだけではなく、自分たちの生き方を提案し、仲間と一緒に展開していくことが引いては地域に歓迎され、地域に根づいていく要素となることだろう。













 

※ご利用に際して

当情報は 2000年の春〜秋に発行された雑誌「DOPPO」の各記事を元に編集されております。
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