地方発DOPPO人
地域社会のDOPPO人の元気がいい。何も競争相手がひしめく大都市で起業することだけがDOPPO人への道ではない。地域にどっかと根をおろし、着実に稼いでいるビジネスはたくさんある。これからの独立起業は地方発。地の利を生かし、古くからの人的ネットワークを生かすことで東京・大阪などの大都市よりもぐっと独立起業しやすくなる。
●博多 博多っ子起業家どんたくビジネスの元気ぶり
ゼロ資金でもできる広告代理業で脱サラ
―プランニング・コンダクター ・川崎信義さん
■開業資金ゼロからの出発
「お客さんに、何となく勧められて、資金ゼロで出発したのですから、いま振り返っても勇気があったと思います。いまなら絶対会社を辞めていません」
当時、福岡市内の、取材プロダクション兼出版社で営業を担当していた川崎さんは、料亭やレストランの社長さんやご主人たちから声援を受けて、独立することにした。
借りていた福岡県筑紫郡二日市町のアパートを事務所にして、広告代理店「アド・プランニング」を設立した。
開業資金はまさしくゼロだった。
「応援してもらった社長さんたちが、そのままお得意さんだったから、その点はラッキーでした。それに、資金がなくても、僕らの仕事は特別
なお金が必要でなかったから、やれたのじゃないでしょうか。スポンサーから仕事を受け、これを雑誌社や新聞社に持って行って、掲載させてもらう。スポンサーからお金を支払ってもらい、掲載料とその差額を僕がもらうわけですね。だから、特別
なお金は必要ありませんでした」
最初は、出版社時代からのスポンサーが中心だったが、川崎さんは、これだけでは満足せずに、スポンサーの幅を広げていった。
■何でも引き受ける姿勢で活路を開く
予備校へ飛び込み、オーナーに企画を売り込んで、生徒募集のパンフレットを作ったり、ホテルのいろいろな印刷物を頼まれて、デザインをやったり、可能性があるものなら、何でも引き受けた。
「それほど儲かりませんでした。ときには、会社からもらっていた給料より低いこともありました」
サラリーマンだったら、苦労することもなく手にできたであろう給料よりも安いというのには、川崎さんも悔しい思いもあった。その分、仕事を広げ、利益を上げていった。
ツキもあった。ちょうど外食産業が伸びる時期でもあった。
独立当初、応援してくれたスポンサーさんたちはどこも業績と売り上げをどんどん伸ばし、これにつれ、川崎さんの会社も好調の波に乗っていった。
予備校や、私立高校の生徒募集のためのパンフレットづくりも、毎年、決まって発注してくれるようになった。教育産業がウケにいっていたのもよかった。
「仕事が増えるにつれ、回転資金が必要になってきたのですが、それは銀行から借りました。当時は売上が5千万円を越えていましたし、銀行もすぐに融資してくれました。今は半分の2千5百万円です」
■仕事は仕事が教えてくれる。
そんな気持ちで頑張ってきたお陰で、川崎さんは、ここまでやってきた。
「僕らの仕事は、スポンサーの気持ちを的確につかみ取り、制作会社の人と、スポンサーを結び付け、制作会社のデザイナーやコピーライターの人たちが、仕事をやりやすいような環境づくりをやってあげればいいのではないでしょうか」
そう言いながら、最後に「いいものを適正料金で、しかも確実に納期を守って仕事をやっていれば、お客さんが見捨てないで一緒に仕事をくれますね」と、川崎さんは言葉を付け加えた。